UFO探し被害届
谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』の二次創作です。
団活で遠出した俺は、長門の様子に違和感を覚えた。それは,世界の存亡にはかかわらないものの、俺にとっては下手をすればそれより驚いた事件の始まりだった。
暖かい季節から暑い季節への移り変わりは穏やかなものなのに、暑い季節から涼しい季節への移り変わりは急激だと思うのは俺だけだろうか。勿論、どの季節が過ごし易いか何ていうことは人によるものだし、強制する気もないが、結構多くの人が賛同してくれるのではないかと少し期待している。
と、何やら秋らしさを感じさせる文言をのたまってみたものの、実は、今からお送りするのは、高校生として1回目の春休み直前の話である。
この頃の俺は、ハルヒによるハルヒのためのSOS団の活動にも小慣れてきて、そこに微かに楽しみを見出したりしていた。しかし、それだけならまだ良かったのだが、その裏で多くの事件に巻き込まれているにも関わらず、ハルヒだけはそれに気付かずに日々を過ごすという理不尽極まりない非日常が繰り広げられていたことは既にお話しした通りだろう。
今回の話は、そんな世界の存亡に関わる事件ではないものの、俺にとっては下手をすればそれより驚いた事件についてである。ちなみに他言禁止、俺が朝倉みたいな目に遭うのは御免だからな。
春休み直前も、我等がSOS団は何の変化もなく毎日放課後に自然に集まることが常だ。と言ったが、変化が全くないわけではなく、俺達の仲は確実に深まっていた。まあ、あれだけの修羅場を潜り抜けたのなら当然と言ったところだ。これだけの苦労を共にして少しも仲が深まらない人間なんていうのは、そういないだろう。
特に長門にはそれが顕著で、最初は全くの無感情、訳は分からないが取り敢えず頼れる有機何だっけ? インターフェースという、言ったところでさっぱり意味不明な存在だったわけだが、あの事件以来ぐっと人間らしく、また身近に感じている。それでも、頼りきりにならないように気をつけながらもやはり頼ってしまうのは、俺の不甲斐なさと、やはり他の3人よりは少し人間離れした、そういうところが残っているからの2つの原因が大きいだろう。
しかし、俺はまたそのことで大反省することになるのである。前置きが長いのは俺の癖だ。
あと3日で春休み、たまには休みにしたっていいと思うのだが、お構いなしにSOS団は毎日営業である。野球部だってもう少しは休むぜ。しかも午前中短縮、普通一般人ならのんびりとした時間を有意義に過ごすだろう。
それでも、
「はい、どうぞ。」
メイド服に身を包んだ朝比奈さんを眺めつつ特製のお茶が頂けるのだ、その不満も吹き飛ぶというものさ。そのお茶を頂きながら、古泉とバックギャモンに興じる。古泉の腕が相変わらずなのは言うまでもないが、好きこそものの上手なれという諺は超能力者には適用されないのだろうか。甚だ疑問である。ふと横に目を向ければ、いつもの場所でいつものように長門がハードカバーを読んでいる。今度ファッション誌でも薦めてみたら、読んでくれるのだろうか。文庫本を読んでいたことはあったから、何事もなく読むのかもしれないが、想像し難い光景だ。
そんないつも通りのSOS団の時間を過ごしていると、台風が到着した。団長様、涼宮ハルヒである。
「いい知らせがあるわ!」
ドアを開けるなり、第1声がそれか。それに、お前にとってのいいことというのは、俺にとっては碌なことにならないと予め決まっている。
「最近の噂でね、UFOが出るって言うのよ。それが何とこの学校からも見えるかもしれないって言うんだから、凄いでしょ!」
ガセネタ率100%だ。もう少し噂を聞き流す能力を身に付けてもらいたい、と思ったものの、ハルヒにそんな願いが通じるわけもない。
「じゃあ班分けするわよ!」
「ちょっと待て。ちゃんと説明しろ。」
どうしてこうも勝手に話を進めるのだろうか。毎度のことだが。
「そうですね、UFOを見るのであれば、班分けは不必要に思いますが。」
おっと、古泉がハルヒに立ち向かうのは珍しい。と思ったが、ただの質問か。
「UFOよ? あっちも忙しいんだから、呼ばなきゃ来ないに決まってるでしょ?」
UFOってのは、いつから呼んだら来るもんになったんだ。
「見えるのは学校からだけど、呼ぶのに良さそうな場所は外にあるのよ、当たり前でしょ? それくらい自分で考えなさい。」
そうなのか、俺には初耳だが。
「勉強不足ね、そんなだからテストがあんな点なのよ。もっと真面目に頑張りなさい!」
俺はお前のせいでおかしくなりそうな世界を何とかするので精一杯なのだ、とは言えるはずもなく、成績については反論の余地がないのでお茶を含んで誤魔化す。
「あの……、制服でいいですよね?」
心配そうに聞くのはSOS団専属メイドさんである。この可愛らしさを外部に漏らすべきではないのは明白で、ハルヒがメイド服でお出迎えとか抜かそうものなら断固として反対しようと思っていたところ、
「そうね、UFOに来てもらうんだし、正装で出迎えるべきね。学生なんだし、制服でいいと思うわ。」
朝比奈さんがほっと胸を撫で下ろす。俺も安心だ。
「それで、呼ぶ組と見る組に分かれる、ということでしょうか?」
相変わらずのスマイルが話を元に戻す。余計なことを。上手く誤魔化して有耶無耶にしてしまおうと思ったのだが。
「正解。でも、呼ぶ組は更に2つに分けなきゃいけないのよ。呼べそうな場所が2つあるのよね。どうせなら、両側から呼んだほうが気付いてくれるでしょ。」
呼べそうな場所っていうのは何だ。ハルヒの独断じゃないだろうな。まあ、独断でもそうでなくても、信憑性に大した差はないが。
「だから、呼ぶ組は2人が2つ、見る人が1人ね! くじで決めるわ!」
てっきりハルヒが無条件で見る人になるものだと思っていたのだが、そうではなかったらしい。そう言いながら、横の線を入れ過ぎとしか思えないあみだくじを作成していく。こんなに横線を入れたら、後で時間が掛かるぞ。
「さあ、選びなさい。」
正直どれでもいいのだが、取り敢えず右端を頂く。朝比奈さん、古泉と決め、長門はまだ定位置で本を読んでいた。
「有希は?」
「余り。」
「あら、そう。じゃああたしこっちね。」
拍子抜けした顔でハルヒが選ぶ。長門が喜び勇んであみだくじに参加するとでも思っていたのだろうか。俺にとってはそっちの方が驚きだが。最近ぐっと人間らしくなってきたといっても、奇天烈宇宙人製のアンドロイドなのは確かだからな。否、長門が奇天烈という意味じゃない。情報なんとか体の方だ。
「では、発表します! ……面倒ね、これ。」
線を引き過ぎたのはハルヒ、お前だ。
「キョン、やって。」
俺はまた雑用か。
「前に言ったでしょ、一番暇で役職が低いのはあんたよ。」
そこで本を読んでいる人はお咎めなしなのか、と言おうと思ったが、余計にハルヒに突っかかれるような気がしたし、長門にも悪いので止めておいた。
「よし、発表するぞ。」
呼ぶ組A、長門、俺。呼ぶ組B、朝比奈さん、古泉。見る組、ハルヒ。結局見るのはハルヒなのか。古泉理論で行けば当然と言ったところか。
「ふむふむ。」
満足気な顔で、
「じゃあ、キョン、古泉くん、地図を渡すわ。やり方も教えるから、しっかり覚えるのよ。みくるちゃんと有希もよ?」
そして、4人はハルヒから奇妙なポーズと呪文を指示される。
「こ、これをやるんですか?」
まだメイド服のままの人が不安げに聞く。無理もない、こんなことを外でやれば、否、中でも、変人確定だ。正直、ハルヒからのレクチャー中、笑いを堪えると共に、これを後で自分がやるのかと思うと吐き気がした。まあ、やらないでそのまま帰ってきてもばれないのだが。
「当たり前よ! ちゃんとやらなきゃダメよ? 誤魔化したら承知しないからね!」
こいつは俺の心でも読んでいるのだろうか。
「さ、幾ら今日が短縮だからって、移動に時間もかかるし、さっさと準備しなさい!」
こうして、朝比奈さんの着替えのために俺と古泉は自主的に追い出される。長門が本を閉じ、準備をしようと立ったところ、
「あ、有希にはちょっと話があるから、こっち来て。」
そう言ってどこかへ連れて行く。何かおかしなことをするんじゃないだろうな。まあ、ハルヒにも、そういうところの常識はあると信じているが。と思ったが、朝比奈さんへの所業を思い出し、少し心配になる。まあ、大丈夫だろう。
長門が連れられているうちに、朝比奈さん、古泉、俺の準備が完了。まあ、準備なんて大したことはないのだが。5分ほど待っただろうか、ハルヒと長門が帰ってきた。
「遅かったな。」
「仕方ないでしょ!」
何が仕方ないのかと思いつつ、着せ替えられていない長門を見て安堵した。着せ替え長門を全く見たくないと言えば嘘になるのかもしれないが、外に連れ出すとなれば、自信を持って着せ替えたくないと言える。威張れることではないが。
「よし、行こうぜ、長門。」
いつもなら微かに頷くか、無条件でついてくるのだが、何故か直立不動。
「ほら、行くぞ。」
何か微妙な表情をしたような気がしたが、長門は表情を最大に振り切っても俺がギリギリ分かる程度、これでは、微妙な表情の動きがあった、ことしか分からない。何かあるのか? 言ってくれ。
「……。」
埒があかない。長門の手を引きながら、俺達は出発した。いつもなら重さが異常に感じられないのが長門の正常なのだが、今日は人並みの力がかかっているような気がした。
桜の季節へまっしぐらの今であるが、この学校の不親切な立地と、まだ流石に春を期待するにはやや早く、過渡期であることを示すように、優しい太陽の日差しと肌寒い風を交互に感じるような、そんな気候であった。朝は山登りだから暖かく感じるのだろう。
朝比奈さんと古泉グループは校門を出てからいきなりの別の道という指示になっており、別にそれは構わないのだが、あの2人が一体どんな会話を交わすのだろうかと無性に気になったりする今日この頃である。俺はと言えば、もう少しフレンドリーならもっともてるであろう整った顔立ちの宇宙人と、無言の山歩きである。Bチームは山を下りる道、しかし俺達は山の中へ入り込んでいくのだ。どうしてこっちの道を引いてしまったんだと嘆きつつ、でも人が増えたところであの怪しい儀式をすると思えば、こちらが当たりにも思えてくる。
「長門、最近どうだ。」
「……。」
「あー、変わったことはないか?」
「ない。」
「調子は崩してないか?」
「ない。」
「ストレスが溜まってるなら、愚痴くらい聞くぜ。」
「ない。」
つれな過ぎにも程があるだろう。俺が話しかけるのを鬱陶しく思っているのではと不安になってしまう。しかし、ここでへこたれるような俺ではない。無言の山歩きは勘弁だ。
「相談したいことはないか?」
「……ない。」
微妙な時間差があった。俺を甘く見てはいけない。長門の心理を感じ取る能力に関しては世界一を自負している。あのなんとか体でさえ俺には敵わないだろう。いや、なんとか思念体はSOS団の誰にも敵うまい。長門に処分を下す? ふざけるな。
「うん? 何かあるのか。遠慮なく言えばいいぞ。普段世話になってるんだ、たまには恩返しをさせてくれ。」
「ない。」
そうか。少し残念なところである。否、何もないのはいいことなのだが、偶には長門の役に立ちたい、そう思うね。それに、さっきの返事は少し引っかかるところがある。
「本当にないのか?」
「ない。」
やや怒っているような気がする。しつこかったか。
「すまん。まあ、何か出来たら言ってくれ。」
「そう。」
どうやら、長門と会話をしながら楽しく散歩とはいかないらしい。仕方ないので、長門を眺めながら散歩に切り替える。それにしても遠いぞ。どこまで行かせる気だ、ハルヒ。
歩くこと30分。おいハルヒ、これは電車を使うべきだろう。と言いたいところだが、この山ルートには生憎電車が走っていない。Bチームはとっくに到着しているんじゃないのか? 到着したほうが相手側とハルヒに携帯で連絡を取り合う約束になっているので、実際には連絡がないということはまだ到着していないのだが。2人もお疲れ様だ。どうせUFOなんざ出てくるわけないんだし、もっと近くにしておけよ。
と思った瞬間、携帯が鳴った。
『どうも。こちらは到着しました。あなた方はどうですか?』
「まだ山の中だ。正直合ってるのかも不安になる謎ルートを通らされている。やれやれだ。」
『後何分程か分かりますか?』
「そうだな、半分は来ているはずだから、あと15分ってところか。」
『お疲れ様です。着きましたら連絡をお願いします、お待ちしております。』
「わかった。」
俺が電話に答えている最中も、黙々と長門が進んでいた。ちょっと待ってくれたっていいだろう。普段より冷たいように思える。さっきのしつこいのがそんなに気に入らなかったのか。
「すまんな長門、さっきはしつこかったか。」
「別に。」
「機嫌直してくれよ。」
長門にこんな台詞を言うようになるとは、夏頃までの俺には全く予想がつかなかっただろうな。
「普通。」
どう見ても普通ではないんだが、さっきのが原因でないとすると何が不服なのだろう。はっきり言ってくれよ、長門。
そのまま歩くこと15分。心なしか長門の歩みが遅くなったように思える。そりゃあ、45分も山道を歩けば疲れるよなあ。俺も疲れた。どんどん人間らしさが出てきた長門に癒される思いだ。最初の頃の完璧超人振りは頼り甲斐という点では勝っていたかもしれないが、仲間と言う点では断然今だな。
「長門、疲れたか?」
聞いてみよう。
「平気。」
強がるなあ。もしくは、自分では疲れたことに気付いていないのだろうか。有り得る。疲れを感じることに慣れていないのかもしれない。
「そうは言ってもな長門、俺には少し疲れているように見えるぞ。休みたかったら言えばいいからな。」
「……。」
慣れてはいるが、無言ですか長門さんや。
もう5分歩いて、やっと到着だ。やれやれ。どこまで歩かされたんだ、これは。そして、目の前にはその辺りだけにやけに石がごろごろした場所が広がっている。確かに怪しいが……。まずはハルヒに報告だ。かけた瞬間繋がった。
『遅いわ!』
「こんな訳の分からん遠い場所まで歩いたんだから当然だろ。」
『口答えはいいわ、さっさと始めなさい!』
「わかったわかった、今から古泉と連絡を取るぞ。」
『早くしなさいよ!』
やれやれ、労いの1つもない団長様だ。
古泉にかける。
「おう、やっと着いたぞ。」
『それはお疲れ様です。では、始めましょうか。』
「ああ……。」
本気であの怪しい儀式をやるのか。
「本当にやるんだな?」
『そうですね、涼宮さんのことです、ちゃんとやったかをどうにかして見抜かれるかもしれませんし。』
やはりお前も、奇々怪々ポーズは嫌か。安心したよ。
「わかった。さっさと済ませよう。じゃあ、切るぞ。」
『今から1分後に始めて、1分間続けましょう。では。』
「あいよ。」
「おい長門、今から1分後に始めるぞ。」
「そう。」
うん? 何か違和感があるな。何だ。なるほど。朝比奈さんなら、いつもこんな感じにゆらゆらと立ったりしているが、長門はいつも直立不動だった。それが、今日は何となく体を傾けたり、1歩足を動かしたりしている。どんどん人間らしくなってくるなあ。嬉しいものだ。
「よし、始め。」
俺と長門が滑稽なポーズをとる。この写真を誰かに撮られでもしたら、ただでさえ奢りで削られている俺のなけなしの小遣いを投げ打ってでも、買い戻さなければならないだろう。細かい格好は解説したくもないし、する必要もない。
奇妙な1分が経った。
「終わりだ。お疲れ、長門。」
相変わらず無言であるが、僅かな体の動きが人間らしさを醸し出している。知らぬうちに慣れていたが、やはりあの完璧な直立不動は人間には不可能だ。
「帰る。」
おい、何もそんな即座に引き返さなくても。俺を置いていかないでくれよ。
俺は思い直した。人間らしいと言うより、何か変だな、今日の長門は。
「古泉、帰るぞ。」
『あ、はぁい。』
愛らしい声が電話から聞こえた。
「あ、朝比奈さんですか。今から帰りますよ。」
『そのことなんですけど……、涼宮さんから、あたし達の方角に怪しい光を見つけたって電話があって、古泉くんとあたしは涼宮さんが来るのを待たなくちゃいけないんです。今は近くの喫茶店に入っているんですけれど。』
何と勝手な奴だ。せめてこっちにも連絡を入れてくれ。
「俺達は帰っていいんでしょうか。」
『いいと思いますよ。一応聞いたほうがいいかもしれないけど……。』
まあ、そうだな。
「有難うございます、大変ですね。」
『いえいえ。キョンくん達こそ遠くまでお疲れ様でした。』
「それじゃあ、ハルヒに聞いてみます。」
「はいはいー。」
「おいハルヒ、古泉の方に向かうなら、それくらい連絡しろ。」
『何? いつまでUFOがいてくれるか分からないから急いでるんじゃない!』
「光とか何とか聞いたが、本当にUFOなのか?」
『当たり前よ! あたし達が何を呼んだと思ってるの!?』
「それなら好きにすればいいが、俺達は学校に戻っていいか?」
『ええ、いいわよ。鍵は職員室だから、取ってから入ってね。』
「はいよ。」
また労いの言葉もなしか。自分勝手な団長だ。
電話を切ると、長門がかなり先を歩いている。頼む、見捨てないでくれ。俺、何か嫌われるようなことしたか?
走って長門を追いかけた。
「おい長門、怒ってるのか? 俺に文句があるなら言ってくれ、機嫌直してくれよ。」
無視。これは辛い。俺は何をしてしまったというんだ。分かる奴教えてくれ。5000円までなら払ってもいい、この際だ。長門の横に着く。思っていた程、歩みが速いわけではなかった。
「あのさ、」
「ない。」
長門さん……、怖いです。おお神様、長門の機嫌を直してください、と頼もうと思ったが、古泉説では神様はハルヒだったな。微妙だ。朝比奈さん頼みのほうが、女の子の心境を適切に分析してくれる気がする。
その後もただ黙々と突き進む長門。本当にどうしたんだ? バグが別の形になって現れたとかは頼むから勘弁してくれ。もう一度あの体験はしたくないからな。あっちの長門にもう1度会ってみたいかと問われると、少し答えに悩むが……、やはり、俺はこちらを選ぶ。決心は固いぜ。
しかしよくよく見ると、長門は何か焦っているようにも見える。しかし、長門に焦りとはこれはまた似合わない。本当に焦っているとしたら、何があるのだろうか。この先にとんでもない事態が待ち受けているに違いない。ああ、結局今からまた珍事に巻き込まれるのか……、何事もなく春休みを迎えられるようという俺の願いは無残にも打ち砕かれるようだ。
帰り道を歩くこと20分。本当に落ち着きがないように見える。時折急に歩く速度が落ちたり、不安定だ。どうしたんだ? 長門。心配だ。
「長門、本当にどうしたんだ?」
「何もない……。」
いつもは平坦な声が、辛そうに聞こえる。
「何でもないことはないだろう。何か変だぞ。何かあったなら言ってくれ。疲れたなら休もう。」
「休まなくて、いい。」
一体どうしちまったんだ、長門よ。心配にも程がある。
「一回止まれ、長門。」
再び無視ときた。このまま放っておく訳にはいかない。俺も長門の役に立ってやらないと。
「止まるんだ。」
少し強く言うと、長門が立ち止まった。しかし、やはり焦っているらしく、足を小刻みに動かしている。
「何?」
「今日のお前は何か変だぞ。前に言っただろう。何時でも俺に言えと。遠慮は要らん。」
「……。」
体を揺らしながら、長門が俯く。言うべきか迷っているのかもしれない。
「言うんだ。」
「トイレ……。」
一瞬ぽかんとした。うん? 何だ。また厄介な事件って訳じゃなかったのか、良かったよかった。否、全然良くない。
「だ、大丈夫か?」
こういう場合、他に何を言えばいいのだろう。デート経験豊富な方、是非レクチャーしてくれ。ちなみに、今の長門は、正直言ってかなり辛そうに見える。
「平気。」
平気とは言うが、見た目とてもそうは見えない。そうか、さっきから変に体を動かしていたのはそういうわけだったのか。ちょっと待て。行きの途中から長門は体を揺らしていた。あれからもう何分経つんだ?
「そ、そうか、長門、急ごうな。」
無言で歩き出す長門。下手をすれば、事件のほうがましだったかもしれない。俺がかなり動揺していることは自明だ。俺は何をすべきなんだ。近くにトイレがあればいいんだが、ここは山道。そんなものはない。取り敢えず急いで帰ることに全力を傾けるが、長門の歩みはいつもより遅い。理由は明白。
長門は俯いたまま歩き続ける。俺が寄ると、顔を背ける。すまないことをした。幾ら感情の起伏が少ない長門と言っても、女の子なのには変わりない。男の俺に対して、こんなことを言いたくはなかったんだろう。俺は余計なことばかりしているなあ。長門に土下座したい。
それにしても、長門がこういうミス? ミスなのかは分からんが、兎に角自分を追い込むような失態をするとは何とも珍しい。これも人間に近づいてきたからなのだろうか、と考えているうちに、俺のダメさ加減に気付く。出かけるとき、長門は出発を渋っていた。あれは、まだトイレに行ってなかったからなのか。何も考えていなかった。あのときの俺をぶん殴ってやりたい。本当にすまん、長門よ……。
そのまま歩くこと更に20分。ちょっと長門が見ていられなくなってきた。時折歩く速度を一気に落として、足をくねらせている。実はそれが少し色っぽく見えてとかそんな感想もあったりするのだが、そんなことを言っている場合ではない。まともに歩き続けられていないということが、今の長門の状況を物語っている。正直、トイレを我慢していることがバレバレだ。人通りのない山道で本当に良かった。しかし、余りに心配だ。意を決して、俺は言った。
「長門、いざとなったら、俺はあっち向い――。」
「……。」
怖っ。無言の威圧。やっぱり禁句でしたか。でも、今の長門を見ている人なら、言ってしまっても仕方がないと思う。同意してくれ。何せ……、言ってしまっていいのだろうか。長門の名誉のために、とも思うがすまない、自己弁護させてくれ。俺の様子を見計らって、俺が見ていないと判断したらしいときに、前を押さえているようだ。俺が長門と反対側を向いて、目だけでこっそり長門を見るという方法を取ることにより判明した。ああ女性諸君、石を投げないでくれ。俺は長門が心配なだけなんだ。
しかし、俺は自分の品性が情けない。正直、今の長門がすこぶる可愛いのだ。普段完璧とも言える長門の、弱った(というのか?)姿が、俺を刺激する。いや、それはさておき、本当に大丈夫か? かなり限界が近いように見えてならない。風も肌寒い。俺の右斜め前を、急ぎながら、でも大して速いとは言えない速度で、長門がもじもじと歩いていく。頑張れ。
学校までは残り少しのはずだ。とはいえ、今の状況を見ていると、とても安心できない。弱々しい歩みだ。今までの恩返しをすべきときに限って、俺は何も出来ない。情けない。既に、俺の視線には全くお構いなしで前を押さえている。辛いのだろう。歩幅も狭くなっているように感じられる。
「長門、もうすぐだからな、頑張れ。」
返事はない。
更に10分ほど歩いただろうか。遂に学校が見えてきた。俺も胸を撫で下ろす。長門は今、どういう気持ちなのだろうか。歩みは遅く、時々震えている。もう我慢の限界であることは間違いない。あと少しだ、耐えてくれ。
よちよちと、と表現するのが妥当だろうか、長門は校門へと歩いていく。少し遅れて、俺がついていく。今の長門を他の誰かに見られることは全力で遠慮したい。理由は言うまでもないので割愛させてもらう。しかし幸いなことに、誰ともすれ違うことなく、校舎に向かうことが出来た。そういえば今日はグラウンド整備、運動部は休みか。
「……。」
長門が急にしゃがみこんだ。おい、大丈夫か? そっと駆け寄る。小さく体を揺らし、じっと耐えているようである。やがて立ち上がり、再びよろよろと進む。もう下駄箱だ。後は一番近いトイレに直行するだけだ。よく頑張ったぞ、長門。
しかし、このとき、俺はとんでもないものを見てしまった。長門のスカート、前の一部が少し濃くなっている。やばそうなのは承知だったが、まさか。もうまともに歩けていない。内股に閉じられた脚を少しずつ動かすものの、殆ど進んでいない。今にも危なそうだ。この行為が正しいのかどうかは分からないが、俺は決心した。
「長門、俺が連れてってやる。」
今の長門には俺の言葉に耳を傾ける余裕がないようで、少しこちらを覗き込むようにすると、再び歩こうとした。
俺は長門の横に立ち、なるべく刺激を与えないように抱きかかえる。長門の透き通った目が俺を見た。
「後ちょっとだ、頑張れよ。」
微かに、長門が頷いた。
出来るだけ長門を揺らさないよう、急いだ。今の状況をハルヒにでも見られたら、後でどんな目に遭うか分かったものではないが、幸い団長様はBチームへ出張中だ。運動部の休み共々、不幸中の幸いだな。抱いていると、嫌でも我慢の様子が目に入る。体を震わせ、前をぎゅっと押さえ、脚を擦り合わせている。部室棟1階の女子トイレへ向けて、俺は加速する。流石にこの格好で教室棟へ乗り込む勇気はなかった。トイレまでの距離が少しずつ縮まり、長門のスカートのしみがじわじわと広がる。頼む、耐えてくれ。
遂にやった。女子トイレだ。しみはノーカウントとし、ここまで間に合ったと見做す。よくやった長門。
「よし、よく頑張ったな、偉いぞ。行ってこい。」
言いながら、中まで抱いていくわけにもいかないので、ここで降ろす。
「……。」
長門がその場にへたり込んだ。どうした、立ってくれ。もうすぐそこだぞ。何とか立たせようと試みるが、身体が上下するだけでどうにもならない。脚にもう力が入らないようだ。頑張れ、長門。ここまで耐えたじゃないか。
そのとき。じゅるっ、じゅぅぅっ……。こもった音がした。長門がぎゅっと押さえている所から、しみが急速に広がり、それはそのまま床の水溜りとなっていく。じゅじゅっ、じゅぅぅぅぅ……。水溜りの拡大が続く。その水溜りは、廊下のリノリウムをやや黄味がかった色へと変えていく。紛れもなく、長門が今まで耐えてきたそれ、おしっこである。
長門が俯き、震えている。ここまで我慢してきたのに、俺にはどんな言葉を掛けていいものか分からなかった。余りにも可哀想だ。そう思っている間も、まだ長門の放水は終わらない。長門の頭を、軽く撫でる。
やがて音が止み、終わったのだということが分かった。
「な、長門、気にすることはないぞ。お前は良く頑張った……。」
「平気。」
声がかすれている。普段感情の起伏が少ない長門だって、ショックでないわけがないのだ。もう一言何か言葉を掛けてやりたかったが、浮かんでこない。もう一度、頭を優しく撫でる。
「気にしなくていいからな。」
ただでさえ俯いていた顔を、もっと下へ向ける。肩が震えている。
「か、片付けしないとな。人が来ると不味いから、兎に角1回部室へ行こうか。」
長門の腕を引っ張り、立たせる。手が濡れてしまうが、今はそんなことを言っている場合ではない。肩を支えて、階段を上る。長門、本当に気にしなくていいんだからな。これは事故だ。主に初めの配慮が足りなかった俺が原因の。
部室へ入ろうとすると、鍵が掛かっていた。しまった。職員室だ。どうしたものかと悩んでいると、
「……。」
鍵が開いた。そういえば、お前はそんなことも出来るんだったな。取り敢えずいつもの椅子に座らせる。
「俺は下を片付けてくるから、長門は取り敢えずそこで待っててくれ。」
「必要ない。」
まだ声がかすれている。
「今回のことは長門は何も悪くない。俺が配慮に欠けてたせいだ。本当にすまん。だから、気にするな、頼む。」
「問題ない……。」
いつもはしっかり凍っているはずの、しかし今は表面が少し溶けかかっている氷のような目は、床を見つめるばかりだった。
「じゃあ、俺は片付けに――。」
言おうとすると、長門が小声で何かを呟いた。一瞬、眩暈がした気がする。
「どうしたんだ?」
俺は周りを見回した。長門のスカートは、いつものように乾いていた。
あの後、長門はいつもの長門に戻り、ひたすらハードカバーと睨めっこを始め、俺は声をかけるのが少し憚られたため、独り手持ち無沙汰に残り3人の帰還を待つことになった。ハルヒを始めとする3名は、帰ってきた際いつも通りの様子だったので、どうやら女子トイレ前の床も長門が何かを唱えたときに片付けられていたようだ。その日の残りの部活は、その光の原因がさっぱり分からなかったというハルヒの愚痴で満たされることとなった。
今回のことで、俺はまだまだ長門に対する配慮が不足していたことを思い知った。全く、あの事件のときの反省が生かされていなかったように思う。長門が人間らしくなってきたことを俺は喜ぶ。なら、その裏側として、長門をもっと女子らしく扱ってやることも必要だろう。こうやって後悔するのは2度目になる。今度同じ失敗を繰り返したら、俺は俺を許さない。
ころで、この事件は完全に長門と俺の中で封殺されている。というか、長門がわざわざ言いたいようなことではないだろうし、俺ももう1度蒸し返すような無神経な真似はしない。谷口でさえしないだろう。残りのSOS団員3名は、そもそも事件のことを知らない。長門が、他のSOS団員もだが、自分のせいでもないのに嫌な思いをするようなことは、あってはならないのさ。
ただ、もう少し、他のSOS団員にも、長門の人間らしさ――いい意味での不完全性――を感じさせるような、それでいて長門が傷つかないような、そんな事件なら、起こっても喜んで対応してやりたい、と思う。
おっと、休日でもセーラー服を身に纏う、少女団員のお出ましだ。流石、約束の時間ぴったりである。長門には、その理由は一切言っていないのだが、先の事件の俺の無配慮のお詫びとして、今から、近くの大都市にあるとびきり大きい本屋まで、連れて行ってやろうと思っている。
初出: 2007/12/20 おもらし特区 掲示板
言い回しをキョンらしくすることを意識して書いたことを思い出します。
この小説を「おもらし特区」へ掲載したあと、パピヨン様からこのシチュエーションに併せたイラストが「おもらし特区」に投稿されました。パピヨン様のご厚意で、挿絵として掲載することになりました。ありがとうございます。