気持ちの高まる感覚と高まりにくい感覚

「おもむき」の更新も一か月ぶりになってしまいました。 日ごろから週に何度かくらいは趣味の気持ちになっているのですが、最近は早寝早起きをしていることとお出かけをしたり人を招いたりが多く、なかなか時間が取れずにいました。

昨夜はいろいろな用事を済ませているうちに眠るはずの時間を過ぎてしまい、あわててベッドに入りました。そもそも日頃からあまり意識をしていませんから、こうなると当然眠る直前にお手洗いへは立っていません。また、最近は涼しくなりました。これらが重なってか、今朝は目が覚めるとすでに結構な感覚がありました。お腹を強く押されでもすれば健康面への不安があるような、それくらいのものです。ただ、寝起きなどは気持ちがついてこないことも多く、寝起きでお手洗いに駆け込んだと家族に思われてしまいそうな状況でなければ早めに済ませてしまいがちです。しかし今日は眠気もありましたので、もう少し……と思いそのままベッドで休んでいました。

このときのお腹の感覚を少し踏み込んで書いてみたいと思います。おへそよりも下の部分に少し熱を持った塊があって、そこからじんじんと熱さと痺れが伝わってきました。私はときどき「重みを感じる」という表現をしますが、そのときと比べても不快感が強めです。横になっているからか、何かがお腹に入っているような「重み」はあまり感じませんでした。残念なことに、水門の感覚はまったくといっていいほどありませんでした。こうしたときに水門の感覚があると、状況が許せばそこから続けてみたりするのですが……。そういうわけで、せっかくの休日にあまり眠りすぎてももったいないので身体を起こして、早々にお手洗いを済ませてしまいました。

お手洗いに着くまで、ずっとお腹の信号は強めに受け取っていましたが、しっかり座るまで出口は何も言ってきませんでした。しかし、涼しさの影響はあったようで、済ませてみると結構な勢いでそれなりの時間出ていました。家族はまだ眠っていたので、起きあがってすぐにお手洗いに行くことの問題もありませんでした。

それまでの気持ちが高まっているかどうか、出口の感覚があるかどうかで、きっと同じはずの熱さや痺れに対する印象がまるで変わってしまうのは不思議なことです。趣味の気持ちが高まっていると、熱さや痺れだけの時間があってもあまり気にならず、強制的に水門が危うくなるまで抱え続けてしまうこともしばしばです。これまでの実況では、多くの場合がそうだったように思います。逆に、出口の感覚を覚えると、それまではあまり気にしていなかったとしても趣味の気持ちが膨らんでまいります。

早起きで一人の時間があったことと、前の更新から一か月以上経ってしまっていたことから、今朝のことを書いてみました。こうして筆を執っていると、趣味の気持ちも高まってまいりますね。早く済ませてしまったことが今更残念です。抱えたままで書いていれば、もう少し違ったのかしら……。押せばすぐに満水直前になるスイッチでもあればいいのに、などと想像しながら、この記事はここまでにしたいと思います。