私がこの趣味を持つようになるまで
私はおしっこ我慢・ギリギリセーフ・緊急避難・おもらしが好きです。 実況・体験目撃談・創作物のどれも好みです。
この趣味を持っている人には、失敗してしまったことがあったり、誰かの失敗を見てしまったり、そうした経験があることが多いように思います。 忘れられない印象が刻み付けられているのでしょう。
しかし、私にはそうした記憶はありません。 むしろ、そうしたこととは縁の遠い日々を歩んできたように思います。 私が拝見するものや作るものの好みは、私がこの趣味を持つようになった経緯と深く結びついているはずです。 そうしたものを、少し思い出してみようと思います。
小さなころ、小学生低学年くらいまででしょうか、私はとてもお手洗いの近い子でした。 慣れないところに出かけるときは、お手洗いのことばかり気にしていたように思います。 もとの心配性もあり、こども向けのアニメに出てくるお手洗いの話はどれも苦手でした。 けれど、親の前でお手洗いのことを気にしていると思われるのも嫌で、そうした話になってしまってもテレビを消せませんでした。 お話ですら、お手洗いを我慢できなくなったらどうなるのかということを突きつけられたくなかったのです。
さて、幼稚園児だったころ、スイミングスクールに通っていました。 そのスイミングスクールには、水着のままで済ませられるお手洗いは一つしかありません。 手前に洗面台があり、その横に男の子用の朝顔があり、その奥に扉が閉められる和式があります。 今思うと恥ずかしく、とても使えるわけのないお手洗いですが、幼稚園児だったので気にせず使えていました。 しかし、問題はあります。 幼稚園児たちが、プールで泳ぐのです。 身体は冷えます。 レッスンの途中に休憩時間はあるのですが、行列するのです。 そして、私はあまりにもお手洗いが近く、行列に並んで我慢できるのかが不安でした。 母は私がお手洗いが近いことも、心配性であることも、あまり人前で発言できないことも知っていたのでしょう。 レッスンが始まるとき、ヘルパー(腰に巻き付けて体を浮かせる補助具)がきちんとついているか確認されるのですが、小声で「お手洗いが近いので、こまめに行かせてください」と言っておくように、と教えられていました。 これは効果があったようで、私は自分の番を待っているタイミングでお手洗いに抜けたりしながら、特に失敗することなく通っていたのでした。
小学校1年生になると、授業が始まります。 お手洗いが近いとはいっても、50分の授業は特に困らずに過ごせていたように記憶しています。 早めにお手洗いに行くようにしていましたから、その意味でも困ったことはありませんでした。 しかし、小学校3年生ころから、状況は一変します。 お手洗いに行くことは恥じらうべきことだ、という気持ちが湧いてきたのです。 そのように感じた初めてのきっかけは、残念ながら思い出せません。 そうなると、もう人目があるお手洗いに堂々と入っていくことなどできませんでした。 私が取った手段は、人気のない特別教室近くのお手洗いを使うことでした。 家族と小さなころからのお友達、そして知らない人たちの前では平気でしたから、外出のときには普通にお手洗いを済ませていたと思います。
小学校6年生ごろになると、小さなころの私を支配していた「お手洗いを失敗したらどうしよう」という恐怖はほとんどなくなります。 遠くのお手洗いにわざわざ行っていたからか、小さなころお手洗いが近かったことをすっかり忘れるほどには困らなくなりました。 小さなころはは嫌いなものとして、最近は恥じらうべきものとして、私が意識してきたお手洗いへの印象は少しずつ変わりました。 私自身にとってこれだけ恥ずかしく思うものを、ほかの人たちも毎日しているはず。 少しずつ、ひとのお手洗いに興味を持つようになりました。 そして、クラスメイト(男の子も女の子も)が我慢する様子や失敗する様子を想像するようになりました。
このころは、まだ知識もあまりありません。 ただただ、我慢して駆け込んだり、我慢して失敗したりする様子を想像しては、胸をいっぱいにしていました。 今はこの趣味ももう少し深まり、好みはどんなものなのか、もう少し詳しく語ることができます。 しかし、これ以上は長くなりすぎます。 「この趣味を持つようになるまで」ですから、ひとまずここまでにしましょう。 中学校以降のお話は、次の機会に。