水の巫女さまと伝えられない懺悔
- 水のご加護を賜る教会にて #1
- メリル様は、儀式にあたってお水をたくさん飲まれます。そしてそのまま、相談会を開かれます。
今日は礼拝の日です。週に一度教会へ行き、神様にこれまでの感謝を伝え、これからの祈りを捧げる大切な儀式があります。村のみんなは、このお祈りをとても大切にしています。
私の住む村は深い山の中にあって、大きな街に出るにはかなりの時間がかかります。けれど、とても豊かです。それは、涼しい気候、澄んだ空気、清らかな水が欠かせない希少な薬草が育つ土地だから、と習いました。この薬草のために、このような山奥にまで行商人がやってきます。おかげで、都での流行も、新しい本も、知ることができます。小さくて穏やかなのに退屈しない、この村に生まれて私は幸せです。
その豊かさを支えてくれる自然を、神様が守ってくださっています。その証拠に、長老のおじいさんが小さかったころですら、川が暴れるところも水が枯れるところも見たことのある人はおらず、ずっと前から落ち着いた暮らしが続けられているのだそうです。教会へ行くには、村の中心を離れて緩やかな坂を少し上ります。建物がなくなって、周りは原っぱです。その向こうに立派な礼拝堂が見えます。
この原っぱでは、小さな子供たちがよく遊んでいます。私も、昔はよく遊びました。教会の洗い場とお手洗いは中庭に建つ離れにあって、自由にお水を飲んだりお手洗いを借りたりできるからです。そういえば、このような山奥で水道やお手洗いが整っていることも、村の豊かさを表している、と教えられました。なんと、容器に済ませて決まった場所まで捨てにいくようなところもあるそうです。知ったときは本当に驚きました。出したものを見られるかもしれないなんて……恥ずかしさでどうにかなってしまいそうです。
思い出しながら歩くうちに、礼拝堂に着きました。まだ閉まっています。早く来すぎてしまいましたね。急かしてしまって、お父さんとお母さんに悪いことをしました。いつも、儀式は二度続けて行われます。一度にはみんなが入りきらないので、私たちは、この日は先、この日は後、と振り分けられた時間に礼拝へ行くことになっているのです。今、扉の向こうでは先の儀式が行われているはずなので、静かに待ちます。
ぽつぽつと、村人がやってきてしまいました。そのうちに扉が開き、ぞろぞろと人が出てきます。もう少し早く終われば、私の家族だけの時間があったのに残念です。流れが止まったのを見て、さっそく礼拝堂へ入ります。
前の人たちを見送り終えて、準備に向かおうと歩いておられるのが司教様であるメリル様です。
「あら、ミリィさん、今日も早くからいらっしゃい。」
お友達同士では、どの男の子が格好いいだとか、誰が好きだとか、そういう話が盛り上がるようになりました。恋をすると、誰とも比べられないほど、夢中になるそうです。けれど、私にとってメリル様以上に素敵に感じる男の子なんてできるのだろうか、と不思議に思います。メリル様はいつも優しくて、壊れもののようにきれいで、私の憧れです。
「司教様、今日もありがとうございます。」
まだ誰も着いていなければ、もう少しお話できたかもしれないのに……。人前でずっとおしゃべりはできないので、両親のところへ戻って椅子に座ります。いいんです、相談会でお話ができますから。
待ちながら、メリル様のことを考えます。メリル様は、私が物心ついたころに村へいらっしゃいました。実は、初めてお姿を見た瞬間は、少し怖かったのです。村のみんなとは違う、雪のように真っ白で、落としたら割れてしまう人形のようなお姿。この人は本当に私たちと同じ人間なのだろうかと思ったくらいです。そして、近所のお姉さんのような若さ。これまで司祭様といえば、お母さんくらいの雰囲気で、大きく包み込んでくださる方でした。これからどうなってしまうのだろうかと、不安に思ったことを覚えています。泣きそうだったかもしれません。メリル様がしゃがんで、目線を合わせてくださいます。
「あなたは、ミリィさんですね。私はメリルと申します。司祭として精一杯務めますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
なんだか難しい挨拶で、何も言葉が出てきませんでした。せめて頷いたつもりでしたが、それもできていなかったかもしれません。けれど、どうやら、まだ小さな私にも大人と同じような挨拶をしてくださったことが、だんだんとわかってきました。そのことが嬉しくて、次は頑張ってお話ししようと思ったのです。それからは、優しくて、私を子供扱いせずに向き合ってくださるメリル様を好きになる一方でした。
三十分経って、礼拝堂は人でいっぱいになりました。後の儀式、私たちがお祈りをする時間です。このお祈りは、水の儀式と呼ばれます。この村にとって水はなにより大切なので、小さなころから親しみを持ってきました。ですが、最近読んだ本によると、水の儀式をしている村はとても珍しいそうです。大きな川があっても、山深い水源近くでも、水の儀式ではないことがほとんど。水の儀式をする女性の聖職者様を水の巫女と呼びますが、水の巫女はとても少ないそうです。メリル様は、ただ素敵なだけではなく、凄い方なのです。
水の儀式は、本当は年に一度の大祭でするように、村人みんなが小さな盃を持ってきて、神様に一晩捧げた祈りの水を分けていただいて、儀式をしながら少しずつ口をつけるのが正式だそうです。飲んだ祈りの水は、ただの水とは違い、身体の中で加護に変わります。それが、村人と村の自然を守ってくれるのです。ただ、毎回の礼拝でそれをしているときりがありません。なので、ふだんの儀式では、代表としてメリル様が祈りの水をたくさんお飲みになります。そのお力を、私たちと村に分けていただくのです。あんなにお水を飲んだら、私ならお腹がいっぱいになってしまいそうです。昔お父さんに聞いたところ、きっとすぐに加護の力に変わっているからお腹いっぱいにならないんだよ、と教えてくれました。
本当はお祈りに集中しなければならないのでしょうけれど、私はついメリル様を目で追ってしまいます。見ているだけで気の引き締まるローブ姿に、陶器のようなお顔と手。祝詞を唱える優しいお声。祈りの水をお飲みになる手の動きまでが尊く見えます。神様に感謝する時間なのに、こんなことを考えている私は悪い子です。
お祈りは四十五分くらいで、そのあとにみんなで歌い、メリル様のお話を聞いて、全部で一時間ほどです。帰るときに、入り口近くの箱へ捧げものを入れて、礼拝はおしまいです。
「ねえ、私、今日は司教様にお話を聞いてもらうから、先に帰ってて。」
「わかった。終わったら、寄り道せずに帰ってくるようにね。」
後の礼拝が済んでから、メリル様は相談会を開いてくださいます。先の儀式に振り分けられている日でも、相談がしたければ後の儀式に変えてよいことになっていますが、入り浸ってしまいそうで、それはしないと決めています。礼拝堂に残った人たちで、年齢、今日の予定、相談が長くなりそうかなどをもとに、なんとなく順番を決めます。そして、一人ずつ順に話をしていただきます。
「ミリィ、親御さんが心配しないように前に来な。」
「あっ、私、ちょっとしっかり聞いてほしいことがあるので、最後でいいですか。」
「どうしたんだい……って、その顔だとアレだね、ミリィもお年頃ってことかな?」
「司教様に聞いていただくんだから、内緒です!」
「ごめんごめん。じゃあ、ミリィは後ろで……。」
のんびりと、お目にかかれる時間を待ちます。今も、メリル様は親身になって相談をお聞きになっているはずです。尊敬するメリル様。私はいけない子です。こんな私のためにも時間を作ってくださいます。神様は赦してくださるでしょうか。私は、礼拝に邪な気持ちで来ています。村のために、村人のために尽くしてくださるメリル様を、よろしくない目で見ているのです。こうして待っていると、つい、あの日を思い返してしまいます。もう七年ほど前、礼拝の帰り……たぶん、前の礼拝が終わってお昼ご飯までというつもりだったと思いますが、シルヴィアと原っぱで遊んだことがありました。
いいお天気のもと、原っぱに二人で座っています。シルヴィアちゃんと遊ぶのはかなり久しぶりです。そのせいか、気恥ずかしくて言い出せないでいると、いつのまにか私はおしっこが噴き出しそうになっていました。
「わ、私おトイレ!」
もう隠してなどいられず、そう言って教会へ向かおうとすると、シルヴィアちゃんも言いました。
「あたしも、おしっこ、もうだめ!」
一緒に教会へ急ぎます。昔のこととはいえ恥ずかしい限りですが、今にもしてしまいそうで、前を押さえながら走りました。教会の中庭が、そしてお手洗いのある離れが見えます。もれちゃう。はやく。はやく。いよいよ近づくと、私は大変なことに気がつきました。
教会のお手洗いは、学校とは違って一つだけです。順番にしか使えません。
「わ、私が先に言ったから、私が先ね!」
「えっ、ずるい、あたしのほうがもれそうだから、あたしが先!」
言い合いながら離れの前に着くと、そこにはメリル様がいらっしゃいました。メリル様からすれば、いかにも待てなさそうな前を押さえた女の子が二人して、一つしかないお手洗いに走ってきたのです。珍しく、少し困った表情を浮かべていらっしゃいました。
「ミリィちゃん、シルヴィアちゃん、二人ともお手洗いですね。すぐに入りたいでしょうけれど、少しだけ待ってあげられそうな素敵な子はいないかしら?」
「私が先、もれちゃう、私が先にトイレって言ったの!」
「あたしのほうが、でちゃう、でちゃうぅ!」
私がメリル様の立場でも、どうにもしがたいと思います。メリル様らしくないことを仰いました。そうするほか、いい手などなかったのでしょう。
「わかりました。じゃんけんしてください。じゃん、けん。」
パー。シルヴィアちゃんはグー。
「お、おしっこ!」
私はやっと目の前にある扉を開け、まだ洗い場なのにスカートをたくし上げながら、個室のドアを開け、なんとか間に合わせたのでした。話し合いをさせられていたら、じゃんけんに負けていたら、あと十秒遅かったら、私は大変な目に遭っていたでしょう。
お腹が空っぽになって、ふぅとため息をついて、シルヴィアちゃんが待っていることを思い出しました。慌てて後始末を済ませ、外に出ます。
「お待たせ!」
目の前にいたのは、涙目で、前を押さえて、今まさにスカートの染みを広げながら、おしっこを地面に降らせるシルヴィアちゃんでした。
「ごめんね、ごめんね……。」
「シルヴィアちゃん、仕方ないことですから、ね。教会にある着替えを貸してあげますから、それを着て帰りましょう。」
シルヴィアちゃんは小さく頷くだけでした。
メリル様に、中庭の向こうに建つ司祭館へ連れていかれます。シルヴィアちゃんには申し訳ないけれど、普段は行かない司祭館に入れてもらえることに少しドキドキしました。中はきれいに片づけられていて、なんとなくメリル様らしいな、と思ったことを覚えています。私はお部屋の椅子で待たされました。シルヴィアちゃんが私からちょうど見えなくなる少し奥まで進んだところで、メリル様が戻っていらっしゃいました。お部屋の水差しでタオルを濡らして、もう一度奥へ向かいます。身体を拭いているようです。二人の声が聞こえます。
「司教様……もう一回、おしっこ……。」
「あら、ちょっとだけ待てるかしら……、お手洗いは中庭にしかないの。着替えたら急いで行きましょう。」
「早く、はやく!」
お着換えを済ませたシルヴィアちゃんが駆け出してきました。メリル様はまだですが、とりあえず私も追いかけます。シルヴィアちゃんは大慌てでお手洗いに駆け込んで、今度は間に合ったようでした。一安心です。
シルヴィアちゃんがお手洗いから出てきました。いつの間にかそばにいたメリル様が、私たちに声をかけてくれました。
「二人とも、これからはときどき気にかけて、早めにお手洗いに行くようになさいましょうね。」
「はい。でも、遊んでいたら楽しくてつい忘れちゃって……。」
「よろしいですか。大人だって、我慢しすぎればもれそうになったり、本当にもらしてしまうことだってあります。まだ小さなあなたたちは、しっかり気をつけるくらいでちょうどよいのですよ。」
「えっ! じゃあ、大人なのに、ぎゅうぎゅう押さえちゃうこともあるの?」
「ありますよ。」
「そんなの見たことないけど……。」
「ふつう、そうなってしまう前に済ませますからね。もうお昼ですから、一度お家に帰りましょう。」
「はい、司教様。」
「気をつけてお帰りになってくださいね。」
メリル様に手を振りながら、坂をゆっくり下ります。このころの私はすでにメリル様が大好きで、後ろ歩きをしながらずっと手を振っていました。シルヴィアちゃんに何かを言われて前を向いてしまってから、もう一度顔を見たくて振り返ると、もうメリル様の姿はありませんでした。
今のシルヴィアは、気立てもよく、そして村一番と言っていいほど顔立ちのよい子です。今思えば、当時もとびきりかわいい女の子でした。そのシルヴィアが、あんな姿を見せたこと。ずっと言えずに我慢して、おもらし寸前で駆け込んだお手洗いの解放感。そして、大人が前を押さえてしまうこともあるという、メリル様のお言葉。何度かふと思い出してしまううちに、私は……素敵な方がお手洗いを我慢したり、失敗してしまったりする姿に、惹かれるようになってしまいました。メリル様が前を押さえてじたばたする様子や、ついに恥ずかしいお水をこぼしてしまわれる様子も、繰り返し想像しました。けれど、誰かに打ち明けられるわけもありません。この小さな村で、そんなものを見られる機会もありません。この気持ちは、心の奥底でゆっくりと膨らんでいきました。
さて、一時間半くらい待ったでしょうか、前の人が出てきました。ついに私の番です。告解室のドアをノックします。
「どうぞ、お入りになってください。」
「失礼いたします。」
「あら、ミリィさん、今日はどうなさいましたか? まずは、おかけになってください。」
尊敬する、大好きなメリル様が私だけに話しかけてくださる。本当は、そんなに深刻な悩みなどないのに、この時間のために、ときどき相談会に並んでしまいます。いつも、適当に準備した小さな悩みごとを、それでも割り切れないという風に、聞いていただきます。メリル様、ごめんなさい。お話がしたいだけなんです。相談している中身すら、ぼんやりとしか考えられていません。
なぜ、私が最後の番を選んだか。わかっています。祈りの水は、すぐに加護に変わります。だからこそ、この村は長らく平穏でいられたのです。たくさんお飲みになっても、お腹いっぱいにすらならないものです。それでも、それでも……! 私は数えました。メリル様は、一度の儀式で六回、盃からお水を飲まれます。盃を見せてもらった限り、水の量は普通のコップとそう変わりません。前の儀式と後の儀式は交代も入れて二時間半。盃を十二杯。そのまま、相談会。今日は、前の儀式が始まってからはもう四時間になります。そんなの……想像、しちゃうじゃないですか……! もしかしたら、もしかしたら、加護を与えた祈りの水がなくならずに、普通のお水に戻ってメリル様に留まっているかもしれない。少しずつメリル様の身体に吸収されて、そしてお腹の中に秘められているかもしれない。後の儀式では、密やかな欲求に耐えながら祝詞を唱えていらっしゃるかもしれない。相談会では、膨れ上がったお腹をローブの下に隠したまま、にこやかにお話を聞いていらっしゃるかもしれない。最後の人、今日は私、が帰ったら……人の目がなくなったら、思い切り前を押さえて、お手洗いに駆け込まれるかもしれない。そんなことを繰り返していたら、ときには途中で……。礼拝の日が来るたびに、頭を離れないのです。わかっているのです。そんなわけがありません。神様の教えは、村や私を守ってくれています。間違っていたことなどありません。そもそも、目の前にいるメリル様は、穏やかな表情で、落ち着いた声色で、優しく私に語りかけてくださっています。もしも、今にも噴き出しそうなおしっこでお腹がぱんぱんになっているのなら、身体を捩ったり、声が震えたり、話を早く切り上げようとしたり、することでしょう。ですから、これは私の妄想にすぎません。でも、でも……。あんなにも祈りの水を飲んで、こんなにも時間が経って……。もしも本当に隠してくださっているのなら。その気持ちが捨てきれずに、こうして、メリル様を見てしまいます。最後の番を待つのは、必死で隠していらっしゃるという妄想が叶うなら、少しでも多く、少しでも危ういときにお目にかかりたいからなのです。
私はいけない子です。本当は、この気持ちこそ、懺悔すべきなのかもしれません。けれど、とても伝えることはできません。知られてしまったら、平気な顔をして相談会に来ることなど二度とできないでしょう。
「そう思えば、やっていけそうな気がします。ありがとうございます。」
親身になっていただいた些細な相談が、よいところに落ち着いてしまいました。もっともっと引き延ばせば、もしかしたら……というかすかな望みは捨てきれません。けれど、このことを抜きにしても大好きなメリル様に、変な子だと思われたくもありません。席を立って、お辞儀をします。メリル様が、あと少しの我慢だと必死で隠していらっしゃるかもしれない。私が部屋を出たら、思い切り前を押さえてしまうかもしれない。大人のメリル様が、おしっこがもれそうで、前を押さえてしまう。妄想を止められないまま、私は告解室を出ました。礼拝堂を抜けて、外へ出て、坂を下りはじめます。憧れのメリル様。教会を振り返ると、司祭館へ戻られるのか、中庭手前にメリル様のお姿を見つけました。少し子供っぽいかもしれませんが手を振ると、振り返してくださいました。悪い私でも、こんなに幸せな気持ちにしてくださる。少し歩いて、もう一目見たいと振り返ると、遅すぎたのか、メリル様は司祭館へ戻ってしまわれたようでした。罰が当たるかもしれませんが、先ほどのメリル様が、私の目を気にしながら、もう一刻の猶予もないおしっこをかばいながらお手洗いに駆け込もうとした直前、私に見つかって、絶望の中で誤魔化していらしたのなら。前にぎゅうぎゅうと押し当てたい手を、私に振るために使ってくださったのなら。遠目だからと、もう隠しきれずに足踏みをしていらしたのなら。出せると思った間際のお預けで、少しこぼしてしまわれたかもしれない。手を振られたことで幸せになったはずの私は、ふたたび神様の教えを追いやって、仄暗いよろこびで満たされていきました。