私の昔話
- 水のご加護を賜る教会にて #4
- 私は水の巫女です。どのようにここへ導かれたか、振り返ってみたいと思います。
身体的特徴、家庭環境、いじめの描写がございます。このお話を飛ばしていただいても、多少説明は不親切になりますが、全体が理解できなくなることはありません。この小説は、家庭内での虐待や、差別・いじめを行うことを肯定する意図は一切ありません。
私は村にただ一つの教会を守るとともに、主の教えを広めるため、この地方で務める司祭たちを束ねる役目を仰せつかった司教です。本来、私のような役回りの者は道が整った大きな街にいるものです。しかし、私が水の巫女であること、この地方において水の儀式はここでしか執り行われないことから、この教会を任されています。少し、村に来るまでのことを振り返ってみたいと思います。
私が主から授かった肌は、家族とは違うひときわ白いものでした。両親はそれを気味悪がり、私は兄や姉とも遠ざけられて育ちました。それなりに読み書きができるようになったころ、私は教会に押し付けられました。私が聖職者になると言ってきかないという理由でしたが、両親の考えは伝わっていたのでしょう。私をあの家族から遠ざけてくださるためだと今になって思います。預けられた教会ではなく、離れた町の教会に引き取られることになりました。
親にとっては厄介払いでしょうけれども、それは私にとっても、一人の子供として向き合っていただける暮らしを手に入れた喜びでした。このときの素晴らしい出会いは、私にとって初めて知ることのできた主のお導きであり、私は今もこのご恩を返したいのかもしれません。引き取られた教会には、司祭として、水の巫女であるジャニス様がいらっしゃったのです。
ジャニス様は私の境遇を慮ってくださいました。聖職者になりたいと無理強いしたことになっている私に、何一つ強制なさらなかったのです。ただ、子供らしく食べ遊び学ぶことだけを、応援してくださいました。ジャニス様の振る舞いをそばで拝見するだけで、こうなりたい、同じ道を歩みたいと思うようになるのは自然なことでした。私は本当に、聖職者になりたいと願うようになったのです。
さて、私はこのころ教会とともに建つ司祭館から学校へ通っておりました。そのことは隠せません。さらに、ある日突然にどこかからやってきた子であり、誰とも似つかない肌の色をしています。もう少し、周りがどうお感じになるかを考えながら過ごすべきだったのかもしれません。しかし、ジャニス様のように立派になりたいと願う私は、精一杯勉強に励み、先生方から特別に褒めていただけるまでになりました。同級生からは厳しい目が向けられ、誰とも話さず、何を言われても忘れて過ごしました。幸い、先生の前では何事もないように振る舞ってくださいますから、勉学だけは邪魔をされずに済みました。
周りのみなさまは、なんとか先生に知られない方法で私の成績を下げたかったのでしょう。ある日、私がお手洗いに向かうと、個室が塞がっていました。ところが、待っていても誰も出ていらっしゃいません。仕方なく諦めて、次の休み時間にもう一度お手洗いに参りました。また、すべてが閉まっています。先ほど行けなかったので、どうしても済ませたいのです。とはいえ、空いていないものは仕方がありません。教室に戻って、次の一時間はおしっこに気を取られながら授業を受けました。お昼休みです。もう待ってはいられません。私は急いでお手洗いに向かおうとしましたが、廊下で声を掛けられました。一瞬振り返ったところで、何人かが私を追い抜いていきます。やっぱりなんでもないと言われ、急いでお手洗いに入ると、やはりすべての個室が埋まっています。気がつきました。私は、お手洗いに入れていただけないのです。みなさまが先生に知られないようなさっていることは存じ上げております。私が授業中にお手洗いに行かせていただいて、このことが知られるところとなれば、次は何が待っているかわかりません。午後の授業は、先生に気づかれないように、足を擦り合わせ、前を押さえ、それでもなんとか授業を聴こうと、おしっこでいっぱいの頭を働かせて授業を受けました。終礼が終わると、先生にだけは気づかれないように気をつけながら、少しでも早く学校を飛び出します。そこからは、今思い出しても恥ずかしいことですが、帰り道の私は、誰が見ても、今にもおしっこがもれそうな女の子だったことでしょう。学校と司祭館が近かったことが、私の救いです。司祭館のお手洗いに駆け込んで、なんとか間に合わせることができました。あのときの安堵と解放感は、今も覚えています。
次の日からは、きっと同じ目に遭うとわかっておりましたから、お水を控えて過ごすようにいたしました。とはいえ、毎日午後にはおしっこで頭がいっぱいになります。それでも甲斐あって、前をぎゅうぎゅうと押さえなくても、出口を必死に締め付けるだけで帰り道を歩けるようになりました。おかげで、先生には知られずに済んだと思っております。ジャニス様にも、余計な心配をお掛けしたくありません。毎日帰ってすぐにお手洗いに駆け込んでいることが知られないよう、気をつけて過ごしました。ジャニス様はお忙しいので、ほとんどの日は見られていないことを確かめて飛び込んでいましたけれど。ときどき、気まぐれか、タイミングを見計らってか、お水を飲むように言われる日もございました。そうした日は大変です。最後の授業では、今ここに噴水を作ってしまわないようにすることだけで必死になってしまいます。先生がこちらをご覧になっていないときには身体を揺すって前を押さえて、先生がこちらを向かれそうになったら精一杯じっとする。その瞬間、小さく下着を濡らしてしまったこともございます。けれど、私はどうにか学校で床を濡らすことなく、卒業までを過ごすことができました。周りも先生には知られたくなかったわけですから、なんとか我慢できる程度に収まるよう、考えていらしたのでしょう。
話が進みませんが、一度だけ、申し訳ないことをした日について告解させてください。その日もお水を飲まされ、短い帰り道ながら、前を何度も押さえつけて、小さな子供のような有様でどうにか司祭館へ辿り着きました。今日は見られてしまってもたまたまだったことにする、もうだめ、と一目散にお手洗いに向かうと、なんと、塞がっているのです。私は、この瞬間に出せることだけを頼りにここまで我慢してまいりました。まだできないことを頭が理解する前に、私の下半身から水音が聞こえました。もれちゃう。待てない。真っ白な頭のまま私は駆け出し、外に出て、建物の陰へ飛び込みます。何度か水音が聞こえます。しゃがみ込み、おしっこを噴き出しながら下着をずらして、私はお庭にすべてを出してしまいました。幸いだったのは、と言ってよいのかはわかりませんが、司祭館に入ってすぐ、強く押さえるために手を中に入れ、下着から押さえておりました。そのため、おそらく、誰にも知られずに済みました。司祭館の壁とお庭を汚してしまったことの懺悔は、今もできておりません。
何が言いたかったのかと申しますと、こういった暮らしをしているうちに、私はお手洗いがとても遠い子供になったということです。ある意味では身体を鍛えているのですから、当然のことかもしれません。そしてこのことが、私の今を形作っています。あのころは辛かったのですが、何がよいことにつながるかはわからないものです。主が、私の努力を見てくださったのかもしれません。
もう少し大きくなったころ、ジャニス様が私をお呼びになりました。近くに誰もいないことを入念にお確かめになってから、ドアをお閉めになります。このようなことは初めてです。私が何か、いけないことをしてしまったのでは。息を呑むと、ジャニス様は思いもしなかったことを仰いました。
「あなたはもしかしたら、水の巫女に向いているかもしれません。興味はありますか?」
水の巫女がとても珍しいことは、なんとなく存じ上げております。ジャニス様に憧れてはおりましたが、まさか水の巫女になれるとは、思ってもおりませんでした。そもそも、どうやって目指すのか、私たちのような聖職者を目指す者にも明らかにされておりません。かつてジャニス様にお尋ねしたときも、水の巫女は主のお導きによるものだから、目指してなるものではないのですよとお答えになり、諦めていたのです。
「はい。主が私を水の巫女に導いてくださるのなら、どんなことでもいたします。」
「自分が水の巫女になるかもしれないと思って、私の儀式をよく見て、水の巫女のなんたるかを考えてみてください。そして、できることなら、それに向かって具体的な努力をしてみてください。」
「努力というのは、何をでしょうか?」
「主があなたをお導きになるなら、何をすべきかわかるでしょう。」
私を諦めさせたいのだろうかと思うような問答ですが、それなら、そもそも向いていると仰ってくださらないでしょう。その日から、これまでありがたくも日常として過ごしていた水の儀式を、そのときのジャニス様を、つぶさに観察するようにいたしました。水の儀式の中身はよく存じ上げております。祝詞を唱え、盃を空け、祈る。それだけといえば、それだけです。何度か考えてもわからず、1か月は過ぎてしまったでしょうか。水の巫女になりたい。私は焦っておりました。
何度目かの礼拝の日、ジャニス様の一日すべてを拝見しようと決心しました。しかし、表立って申し上げることは、少し憚られます。それで、自分で気づいたと胸を張れるのでしょうか。でも、なりたい。どれだけ自然にできていたかはわかりませんが、仕事やお手伝いを装って、時には堂々と、時には遠目で、ジャニス様を視界に収め続けました。しかし、礼拝後に行われる相談会の間だけは、それができません。とはいえ、このときはジャニス様が告解室にいらっしゃることは確かです。朝一番から、初めて自分の身体が空きます。寒い日でした。目を離せないからとずっと我慢していたお手洗いに、恥ずかしくない精一杯を装って駆け込みました。このままどうしようかと思った、相談会があってよかった……。息を吐いたとき、気づいたのです。ジャニス様は、お祈りを始める前にお手洗いに行かれました。そのあと、儀式をなさいます。祈りの水は加護に変わるのですが……加護を与えた後のお水が、もしも。あんなにたくさんの水をお飲みになって。今は、告解室でずっと、お話を聞いていらっしゃる。なぜ私が向いていると仰ったのか。もしかして、私のお手洗いが遠いことにお気づきになったのかもしれない。今……ジャニス様は、学校に通っていたころの私のように、こっそりと、孤独に、耐えていらっしゃるのかもしれない。そして、私も、その道に進むのかもしれない。
告解室の前で、掃除の振りをして待ちます。相談会が終わりました。ジャニス様も出ていらっしゃいます。怪しまれない程度に拝見する限り、お手洗いに行きたいようには見えません。あれだけのお水をお飲みになって、これだけの時間が経っています。我慢強い私でも、おそらくもう厳しいのではないでしょうか。ジャニス様は、いつも通り静かに美しく歩かれます。こっそりと目で追います。司祭館へ戻られるようです。細心の注意を払って追いかけます。礼拝堂は目立つから避けながらも、司祭館のお手洗いを切望なさっていらっしゃるのではございませんか。私は、憧れてきた水の巫女になるための秘密を掴んでいるのかもしれない。今思えばとんでもない考えに聞こえますが、とにかく、水の巫女になれるかもしれないという心を押さえきれなかったのです。ところが、礼拝堂から司祭館へ歩く途中、ジャニス様は信徒の方に呼び止められました。改めて距離を取り、待ちます。立ち話だと思っていたのですが、なかなか終わりません。相談会には用事で並べず、戻っていらしたのでしょうか。とにかく、かなりの時間です。私の予想が正しいのなら……僭越ながら、心配です。しかし、ジャニス様はにこやかに……、いえ。ローブの動き。小さな、本当に小さな……けれど、これは足踏みです。私にはわかります。先生に知られてはいけないのに、もう今にもこぼしてしまいそうなとき。立ち疲れたか、寒いかの言い訳ができるからと言い聞かせて、足を踏みかえてしまうのです。いえ、今日は寒い日ですから、冷えをお感じになっただけかもしれません。ですが……。やっとお話が終わりました。丁寧にお見送りになります。やはり違ったのかもしれません。私なら、足踏みが隠せないほどにしたくなっていたら、お見送りなどできずにお手洗いへ駆け出してしまうでしょう。改めて司祭館へ向かわれます。大急ぎで追い、できるだけ静かに司祭館へ入ると、少し先にお姿が見えました。そして、ドアをお開けになり、見えなくなりました。音を立てないように駆け寄ります。そこは。
「あ、あぁぁ」
育てていただいてこのかた、一度もお聞きしたことのないジャニス様のお声。私が礼拝堂で掃除をしており、司祭館には誰もいないと思っていらっしゃるのでしょう。
「く、んんっ」
私が学校に通っていたころ、毎日のように出していた声。ずっとずっと、噴き出しそうな水門を締め続け、やっとお手洗いに辿り着き、でもまだ、まだ、下着を下ろすまでの数秒が、もう待てないのです。
「ぶしいいい、しゅいいい!」
音だけで、どれほど我慢していらっしゃったのかがわかります。お祈りの直前にお済ませになってから今までのお時間、水分なしでこうはなりません。祈りの水は、主に捧げ、町と人々に加護を与える一方で、水の巫女にとっては試練のお水だったのです。
気づかれないよう急いで礼拝堂に戻ると、なんだか力が抜けてしまいました。私の辛かった学校生活。毎日の我慢と解放。身を守るためか、あるときから、この解放感に少しの喜びを感じるようにもなってしまいました。これを、ジャニス様も儀式のたびに感じていらっしゃる。無礼かもしれませんが、憧れだけでなく、親近感を抱かずにいられませんでした。
翌週。私は儀式の前にお手洗いを済ませ、儀式の間は外を整える振りをして司祭館へ戻り、ジャニス様と同じときに同じだけのお水を飲みました。あの盃は大きく、一度でコップにすると二杯ほどのお水を飲むことになります。それが六回あるのです。相談会が始まると、礼拝堂の隅でご本を学ぶ振りをしてひっそりと待ちます。少しずつ、少しずつ、私は学校に通っていたころを思い出しておりました。まだ、お昼休みが終わったくらい。平気。そろそろ、最後の時間くらい。ここから授業を受けて帰ってきていたのだから。平気。帰り道くらい。したい。したい。隠せない。押さえたい。いけません。我慢、我慢しないと。告解室前の列はなくなっておりました。今話している方が最後です。押さえたい。誰も見ていない。ですが、ジャニス様の前には信徒がいらっしゃいます。ジャニス様は押さえられないかもしれない。それなら、私も押さえてはいけない。がまん。がまん。もうだめ。もうだめ。ジャニス様に見られていないことを確かめて、お手洗いに駆け込んだくらい。でちゃう。もれちゃう。下着を下ろしたくらい。
「本当に、ありがとうございました。」
ドアが開かれました。広い礼拝堂の隅にいるとはいえ、いけません。変な動きをしては。じっとする。がまん。出さない。ドアが閉められ、出口へと向かわれます。私は静かに、前を押さえつけたい欲求を必死でなだめながら、精一杯いつも通り歩き、最後の方が礼拝堂をちょうど出られるころ、ドアの前に立ちました。答え合わせです。私は、きっと水の巫女になれます。そのためにも、今ここでこぼすわけにはまいりません。おしっこ。おしっこ。今すぐトイレに駆け込まないと、でちゃう。もれちゃう。おしっこ。
私はそっとノックいたしました。
「司祭様、メリルです。お話がございます。」
声は震えていたかもしれません。今すぐにでも、足の間に滝が生まれそうなのです。幸いにも、申し上げてすぐにドアが開きました。
「戻ろうとしていたところでしたが、どうぞ、入ってください。」
これは、ドアの前にいらっしゃった。お部屋を出ようとなさっていらしたのです。お手洗いに行こうとなさっていらしたのです。私だけじゃない。ジャニス様も、この暴れ狂うおしっこを、出したいと、もれちゃうと、一秒でも早くお手洗いに行かなくてはと、思っていらっしゃるのです。尊敬する、憧れのジャニス様。きっといずれ、同じ水の巫女として。今ここに、同じ感覚を持って立っていることに、胸の高鳴りを感じました。
「どうぞ、かけてください。」
できるだけいつものように、腰掛けます。座るだけで、ずいぶん楽になります。とくに帰り道が辛かったのは、立たねばならないからです。ジャニス様も、お座りになりました。二人とも、もう少しだけ、話せるようになったでしょう。小さな机があるので、相手がよければ、そっと前を押さえることくらいはできるかもしれません。けれど、水の巫女を学べと仰った私の前では、できませんよね。
「お話を、どうぞ。」
ジャニス様はにこやかに、落ち着いた様子でお座りです。こんなにおしっこがしたいのに。完璧に隠していらっしゃいます。私も、ここで落第するわけにはまいりません。がまん。笑顔を作ります。
「水の巫女のなんたるか……と申し上げてよいかはわかりませんが、具体的な努力をしてまいりました。」
「そうですか。仮に間違っていても、どんなことであっても咎めませんから、仰ってみてください。」
「お、」
私は口をつぐみました。つい、おしっこと言ってしまうところでした。もう、それだけ、頭はおしっこのことではちきれそうでした。
「儀式の前から、司祭様と同じように過ごしました。席を立ち、戻り、祈りの水はございませんがお水をいただき、相談会の間は礼拝堂でお待ちいたしました。」
ジャニス様の目が優しくなります。これはきっと、合っているのです。ジャニス様の頭も、おしっこでいっぱいに満たされていらっしゃるのです。
「それの、何が具体的な努力なのか、説明できますか。」
「今、恐れ多くも、司祭様と私は同じ気持ちのはずです。」
ジャニス様のローブが動きました。もう隠さなくてよい、とお思いになったのかもしれません。羨ましい。私も噴き出しそうです。ジャニス様の動きをお許しだと信じて、足を擦り合わせます。私のローブが揺れます。ジャニス様は何も仰らずに、私をご覧になっています。
「祈りの水は加護に変わり、町を守ります。けれど、その力を果たしたお水は、司祭様のお身体に残っておられます。そしてそのまま、相談会をなさいます。加護に変わるという教えである以上、……すぐに駆け込むのは、憚られるからです。」
ジャニス様のローブが大きく動きます。合っているのですね。私を、水の巫女にしていただけるのですね。我慢できない。もうだめ。合格をいただいて終わらせなくては。きちゃう。きてる。でる。でる。
「司祭様も私も、今、もう、今すぐに、お許しくださいっ!」
左手で、前を押さえつけます。なんとか、なんとか、決壊を免れました。ジャニス様が、押さえた手を見つめていらっしゃいます。ローブを揺らしておられます。早く言いなさい、もう待てませんと急かされているようです。
「お、お手洗いに駆け込みたい、それでも、隠していなければならないのですね!」
言い終えてすぐ、目の前で、ジャニス様の左腕が動きました。どれくらい経ったでしょうか、ほんの数秒のような、十秒くらいのような、けれど永遠のような、その間、二人で、前を押さえて必死に押しとどめていたのです。濁流のようなおしっこを。ジャニス様の手が、机の上に置かれました。
「礼拝堂ではいつ人が来るかわかりません。一緒に司祭館へ参りましょう。隠していなければならない、と仰いましたね。」
「はい。」
これが、最後の試験だと受け取りました。糊で貼りついたような左手を剥がし、笑顔を作り、立ちます。おしっこ。ジャニス様も、落ち着いたご様子で立ち上がられます。おしっこ。がまん。お互いに一言も話さず、ただ、淑やかに、部屋を出て、礼拝堂を出ます。がまん、する、できる、がまんがまんがまん……! 歩き、そして、司祭館の入り口を閉めました。トイレはすぐそこです。すぐ。すぐ。出せる。はやく。
「合格です。水の巫女として歩めるよう、推薦しましょう。」
ジャニス様は一瞬周りをお確かめになって、前かがみになり出口に手を当てられました。私も、その意味を考えるのが先か本能が先か、太腿を閉じ、水門を押さえつけました。したい。おしっこ。
「ありがとう、ございます。」
「まず、済ませましょう。ほら急いで、先に使っていいですから。」
私はすっかり抜け落ちておりました。限界寸前のジャニス様と私、そして一つしかない司祭館のお手洗い。どちらかが待たねばならなかったのです。そして、そんな余裕は私にはありませんでした。
「ありがとうございます……!」
どんな学校帰りよりもひどい格好で、私はあと少しのお手洗いまでの道を進みました。もれちゃう。おしっこ。ドアを開け、乱暴に閉め、ローブをたくし上げ、下着を下ろし、座り、おしっこが出る。この順番を守れたか、頭が真っ白でわかりません。ただ、履きなおした下着の前は、少し湿っていました。
何年か振りの、そしてその中でもとびきりの、とてつもない解放感。身体に力が入らず、猛烈な勢いで、ずっとずっと秘めていたものを叩きつけました。間に合った。助かった。すっきり。気持ちいい。どの言葉でも足りない気がいたします。放心してしまいそうになる自分を律します。ジャニス様が待っていらっしゃるのです。
大急ぎで後処理を済ませ、ドアを開きます。
「お待たせいたしました、どうぞ!」
一瞬お姿を探すと、しゃがんでおられました。足元が隠れていらっしゃいます。これも私は存じ上げています。踵を当て、体重で水門を押さえつける。これに頼るともう先は短い、最後の手段です。お身体を捩っていらっしゃいます。ぐりぐり、ぐりぐり。一秒でも早く駆け込みたいのに、今すぐに動くと出てしまわれるのです。小さかったあの頃の私と同じことを、尊敬する、憧れの司祭であるジャニス様が、水の巫女たる宿命として。ジャニス様が、おもらし寸前で、目の前にいらっしゃる。そして今から、さっきの私のように……。私の頭は焼けつきそうでした。
突然ジャニス様は立ち上がられ、私の前でローブをめくりはじめながら、もう片方の手でドアを引っ張り、お手洗いへ入って行かれました。そのとき、気づいてしまいました。ローブの皺が寄ったところ、踵で押さえつけられていたであろう場所が、湿っていらっしゃった。激しい水音を背景に、私はしばし呆然としておりました。
「まさか、相談会の直後に、同じことをしながら伝えられるとは思いませんでしたよ。」
ジャニス様は困ったように仰います。
「具体的な努力をと仰ったので、お見せせねばならないのかと……。」
「そんなつもりはありませんでしたが、済んだことですから構いませんよ。」
済んだこと……今も、私の下着とジャニス様のローブは湿っているのではありませんかとは、とても申し上げられません。
「これから、新たに何を学べばよろしいでしょうか。」
「水の巫女は、まず身体が向いていなければなりません。そして、この秘密を教えてから断られては困りますから、自分で気づき、それを受け入れられなければなりません。あなたはそれができていますから、あとは司祭として務められるように励めばよいのです。水の巫女は行き先も限られますが、なり手は下手に増やせず、かといって欠けるわけにもいきません。いつでも務められるように、これから頑張りましょう。」
私は生まれのために、勉強だけが楽しみで、そしてお手洗いも遠くなりました。しかし、私は生まれによって、尊敬すべき方と出会い、人のために生きる務めに導かれたのです。これまでの人生が報われたことをしみじみと感じていると、ジャニス様が思い出したように仰いました。
「あ、でも……特訓は、もう少し必要でしょうね。」
私はそれから、週に一度司祭館に篭り、ジャニス様から離れることなく半日を過ごすことになりました。もちろん、お水を六度いただいてからです。仕草を咎められたことも、約束の時間まで待てなかったことも、……下着を湿らせてしまったことも、何度あったでしょうか。そして、すべてを……ひっくり返してしまったことさえ。大変でしたけれど、それが今に活きています。あの厳しさがなければ、村ではもっと困っていたことでしょう。私もいつか、教える側に回るのでしょうか。かわいそうに感じて甘くなってしまわないかが、少し不安です。けれどそれは、いずれ本人に返ってきてしまいますから。とにかく、そうして、私は一人前の水の巫女となりました。
ところで、この村には経験豊富な水の巫女が赴くことが常だったそうです。しかし、水の巫女は他よりも相当若くして儀式の執行から退きますから、経験を積んでから来たのでは、五年ほどで変わらざるを得ません。それは、この村が信心深いことによります。一度に礼拝堂へ入れないため、儀式を二度行うのです。盃は……半分にし、二度で本来の量にしております。それでも、儀式の始めから相談会の終わりまでが長くなります。そのため、経験を積んだ、つまり、鍛えられた……巫女でなければ務められないのです。しかし、私はジャニス様の推薦もあり、先代の巫女が儀式から退くにあたって、司祭に叙階されるとともにこの村へ参りました。ご挨拶に上がった村長は、若い私をご覧になって驚いたご様子でした。そのとき、村までの長い道程をどうか見送りたいと、無理を通して同行くださったジャニス様が、このように仰いました。
「この教会は、これまでよく務めた司祭が最後に任されるところでした。存じ上げております。それだけ、この地の祈りを大切にしているということです。しかし代わりに、それぞれの司祭が村のみなさまと心を通わせられる時間は短くなってしまいます。メリル司祭は若く、この教会が初めての任地です。しかし、私が経験ある水の巫女として保証いたします。メリル司祭はすでに、これまでこちらで務めてきた素晴らしい司祭たちと同じように、あるいはそれ以上に聡明で清らかな、信じていただくに足る司祭です。」
それを聞いた村長は、私に笑いかけてくださいました。ですが……ジャニス様。それは、司祭として同じように聡明で清らかなのではなく、鍛えられてきたお腹と同じように抱えて、隠して、笑顔で秘密を守り続けることができると、そういう意味でございますね。